2007年10月5日金曜日

生きることの意味

時々ある場所に行って家のない人たちの姿を見ていることがある。
 彼等にも昔は夢があったのに。家族がいたのに。大きな声で話している人。歌っている人。ひたすら周りの騒音に耐えて横になっている人。彼等には帰る家がない。だからいつからだろうホームレスと名がついた。昔さ、凄く寒い日に信号待ちしていたら後ろで待っているふたりの男のひとりがぽつりと風呂に入りたいって言った。それは切実な願いだったはず。
 彼等は人生の落伍者かもしれないけど、一生懸命生きている。生きる意味って何。

クヨクヨしないで

 考えたからって進展するわけではないし、ポジティブに生きていくしかないよ。
生きていくって本来つらいものだから。嫌だなって思って逃げていたら一生負け犬。自己嫌悪の積み重ね。
昔はそうだった。でもね年を取ると恥も外聞もなくなるって言うかいろんな事を体験しているから少々の事があっても笑ってすませられるようになる。今は我慢して、今は笑顔でいて。

 


中島 みゆき姫です。昔から大好きでしてMacを購入してペンタブレットも買ってはじめて彼女に挑戦しました。
人の評価はよくないけど、絵は自己満でいいんです。中島 みゆきの歌を聴いていると勇気づけられることがあります。彼女の詩の中で泳いでいる言葉たちは生き生きしていないし翳りがあるけど、生きることの意味を問いかけているようなそんな詩がたくさんちりばめられています。だから好きです。

偶然扉を開いてくれたら嬉しいけど

 デジカメも古くなったし買い換えたいけど、パートの身だからよく考えて買わないといけないし。おっと貧乏くさい話になってしまいました。ブログの入客は今のところふたり。結局先方のブログに入ったからと言う社交辞令のコメントでした。
 だったらはなっから自分のためのブログを作ろうと思いました。これだけ猫も杓子もブログ作っているんだからそう簡単にアクセスしてくれるはずがありません。で趣向をちょっと変えて不思議な絵日記にしようと思いました。何が不思議かって自分が常識だと思っていることすら人にとっては不思議に写るかもしれません。自分の気持ちの対局にある何かを探っていきたいと言う気持ちもあります。
 自分、自分って言う年代は過ぎました。自分って何なのか、自分は何のためにこの世に生を受けたのか。
人間って何か、人間ってどうして生きることに執着するのか等を模索していきたいと思っています。50という年代の区切りという意味もあります。

ふわふわ生きるって楽しいです。昔は一生懸命生きていた気がします。だからいつも心の中にわだかまりがあってそれが嫌で嫌でたまらなくて。それが若さの証だと思います。自分のために生きようって思ってでもそうじゃなくって年をとるにつれて人の喜ぶことをしようってそう思うようになりました。職場の中には嫌な奴もいるし自分に好意を持ってくれてる人もいます。それで五分と五分です。
どっちが重いなんて事はないんです。人生どこかで均衡が取れているんですよ。自分自分という人はこころの障害者なんですよ。
僕自身身体に障害持ってて最初は死んじゃおうかなぁとか思いましたが、でも重い足を引きづってそれでも生きてきたから楽しい事にも巡り会えたんだから人生ってまんざら捨てた物じゃないって思えるようになりました。

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