2007年12月7日金曜日

美しすぎてと言う映画の途中

これは以前ヴェリテと言う映画館で見たと思う。で今回中古ビデオ屋でゲットして見ている。どんなんだったっけ。
まだ途中なんだけど女の開き直りが凄い。女は開き直るとここまでなるのかと思う。でもその女性が可愛いのだ。
主演はキャロル・ブーケである。彼女の美しさとの対局を描いたのかも知れないが私にはもうひとりの女の方が綺麗に見える。
それも監督の策略なのか。ジョジアーヌ・パラスコと言う女性は本当に可愛い。好きになったら一途なのだ。それだけなのだ。
今監督を見たらベルトラン・ブリエでなるほどとなぁと思った。私は別に彼と親しいわけではないが彼ならではの気品がある。
フランス映画はこれだから好きなんだよな。キャロル・ブーケは自分か綺麗なことを知っている。そして男たちがひざまづく事も知っている。それが逆に彼女のイメージを悪くしているのだ。これは彼女の映画と思わせておいて実はジョジアーヌの映画なのだ。

彼女のきらめく気品とあの笑顔を監督は撮りたかったのだ。ジェラールド・パルデューなんてこの作品ではただの男でしかない。
私もキャロル・ブーケを007で見て綺麗だなぁと思ったしこの映画を見た動機もそうだった。その時は確かにキャロル・ブーケにしか目がいってなかった。しかし年を取って見ると味方が変わってきた。キャロル・ブーケが嫌なぶすな女に見えてくるのだからマジックだ。
そう言う一面が私を映画を見たい気持ちにさせていると思う。

若い子たちの気持ち

ぶっちゃけ分からないし分かろうとも思わない。突っかかってくるタイプと距離を置くタイプがいるのは事実だ。
距離をおくのは分かる。自分もそうだったから。でも20とか30のギャップは辛い。本当に辛い。
自分がどうしたらいいか分からないのだ。でも若い子もそうである。どう対応して良いのか。出来たら避けたいしと言う気持ちはあると思う。でも何故か完全に無視はしてくれない。何故か遠巻きに見ている気がする。気がするだけなのだから本当のところは分からない。

僕はどちらかというと波風が立つのは嫌いだった。それがいいと思っていた。人間保守的になると思っていた。でも良く考えてみたら気にするって事はその人のことが気になるからなのだ。当たり前だと言ってしまえばそれまでだがそこに何か隠されている気がする。
何故気にするのか。その人の事を思っているからなのか。違う。怖いのだ。ただそれだけなのだ。存在自体が怖いのだ。
でもそれを表に出すとやばいので必死で我慢している。そう思う。真相は分からないけどそう思うことにした。

でも自分は若い子たちを見たいかというとそう言う気はさらさらない。適当に距離をおいて適当に話すって言うかそれでいいと思う。
でも今のところは若い子たちと会話はない。そして日々は過ぎていく。でも何かもったいない。何か考えなきゃいけない。
せっかく神様がそう言うチャンスをくださったのだとしたら。

コーヒー

私はこの世からコーヒーが亡くなったら気が狂うか死んでしまうかもしれない。それくらい必需品である。
朝はないと絶対駄目で、仕事中は飲まないけど暇があっては飲んでいる。だからかどうかは分からないか胃があまり丈夫ではない。
でもブラックは苦手だ。ブラックは不味い。まぁ飲み慣れたらいいんだろうけど。
コーヒーとは違うが学生時代コーラを飲み過ぎて中毒にもなった。あれって疑っていたけど本当に中毒になるんですね。
飲まないといられないなんてほとんど麻薬の世界である。煙草もしかり。でも両方ともあっさりやめれた。
要は意志の力である。意志が弱かったらどうしようもない。意志、石、意思まぁそんなことはどうでもいいわけで。

コーヒーを飲むことで活力がアップするのだろうか。答えはしない。ただちょっと目が覚める程度というか錯覚なのかよく分からないかそんなものである。なんだ、かんだ言ってもコーヒーは必需品だ。なくては困る。ただあまり飲み過ぎると糖尿病が気になるのでほどほどにしなきゃ。

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