2007年12月27日木曜日

嫌な奴の正体

うちにも嫌な奴がいるがそいつはあまり良い育ち方をしていなかったと思う。
つまり、なんて言うかひねくれた家庭に育ったのだ。だから人に対して嫌みをするようになる。
きちんとした言葉遣いはそれを隠す為なのだ。彼は今上司の奴隷となり働いている。上司は最初私のことを側近にするつもりだったが
私はそんな性格ではないので彼にはつかなかったので彼は私を諦めたのだ。上司の生き方は分からないし、分かろうとも思わない。
ただし彼の側近はひねくれた性格なので、上司のご機嫌を伺いながらそして私にプレッシャーを与えている。
そうするように上司が命令したのかも知れなしがそれはよく分からない。どっちにしても彼は自分の手中に私を収めたいのだ。
それか私が定時に帰っているのでそれが気にくわないのもあると思う。そんなことは人の事なのに変な奴である。
上司もそれは気にくわないようだ。しかし前もってそれは伝えてあるし上司もいいと言っていたので今更駄目だとは言えないと思う。
まぁどっちにしても良い家庭で育ってない人々は人を陥れることだけしか考えていない事をここの会社で学んだ。
つまり嫌な奴はかわいそうな奴らなのだ。私はただ笑顔でそれをかわすだけである。どちらにしても長いことはいない会社なんだけど。

2007年12月24日月曜日

あった

こたつの中にあった。まぁよかった。

無くした

免許証はともかく郵便局のカードと健康保険証をなくした。郵便局はネットで調べたらすぐにカードは止めてくれたが結局
残高の悪用とかは分からなくてがっかり。それが問題やろう。後健康保険証はどうしたらいいかまるで分からない。
とにかく明日会社に無くした旨を言って何か書類をもらわないといけないらしい。
最悪な今年になってしまった。

2007年12月17日月曜日

百円食堂

うーん、安いんだろうか。それが売りの食堂がある。百円ショップのパクリなのだろうか。
人は百円というと安いというイメージがあったが今はそれが当たり前になっていてどこか麻痺している気がする。
外で中を覗くこと約10分。私は中に思い切って入った。面倒くさいので生姜焼き定食を頼んだ。
そして出てきた物はあまりにもひどすぎる味の生姜焼き定食だった。これで550円はぼったくりじゃんと思った。
ならばご飯の中120円に味噌汁百円に焼き魚が良かった気がする。それなら320円ですむのだ。230円の得である。

320円を一ヶ月続けても一万円位である。まぁそこの食堂は週に一回行けばいい方なんだけど。

マイナスに考える癖

結局何故疲れるかということを考えてみたらマイナス思考が原因じゃないかと思った。
仕事は嫌だって。誰だって好きな人はいないと思う。(好きな人もいるのかなぁ)家族のためじゃなかったら誰の為に頑張ればいいのか。
年を取って体力がなくなったらどうしたらいいのか。でも毎日少しずつでも働いていれば何か道は開ける気がする。
壁にぶち当たればそれを打開する方法を考えればいい。考えてもどうしようもなかったらそれはそれで仕方がない。
それにしても最近脱力感がひどいなぁ。身体が重いし仕事に身が入らない。身が入らないから疲れる。その悪循環の中で私は溺れそうになる。でも生きることは大変なのだ。だからみな毎日を一生懸命に生きているのだと思う。

2007年12月16日日曜日

ブックオフ

自動ドアを入ってすぐ左側に百円均一のハードカバーコーナーがあったのに突如なくなった。そして百円のはずの本が500円とかで置かれてあった。とうとうブックオフもここまできたかぁである。結局商売が苦しくなると四苦八苦仕始める。
それが見え見えの策略なのだ。それはTSUTAYAでも同じだ。TSUTAYAは半額デーだからいいけどこっちはもろ本のコストを上げに来ている。もう何が何やら訳が分からない。まぁよそではこんなことはあり得ないと思う。大阪ならではの発想なのだろう。
しょうもな。

王将

ここは餃子で有名な店である。大阪ならではのチェーン店である。はっきり言って安いとは言いにくいが量は豊富である。
その反面味は不味い。昨日も仕方なくソース焼きそばの定食を食べたが焼きそばが全然なってなくって、その上子連れの爺まで来ていてやかましいし。しかしここは次から次に人が入ってくるのである。何が魅力なのかは全然分からない。
餃子か美味しいと言っても特別どうってことはない。ただビールや酒のあてには美味しいのかもしれないのかなぁとは思う。
こんな店が繁盛している大阪ってやっぱり訳の分からない街である。

ラーメンの一勢

豚骨ラーメンの店で時々言ってたラーメン屋さんである。ここは昼に行くと定食が500数十円で食べられるので言っていたが今回久しぶりに言ったらな、なんと小麦粉の関係で値上がりと書いてあった。そりゃあんた久しぶりに牛乳が値上がりしたのに便乗したのだろうかとも思ったがよくは知らない。ここのラーメンは特別に美味しい訳でもないのでもういかないと思う。
こうやってどんどん店が潰れていくんだなぁ。大阪って商売の街って言うけど商売下手だよね。

2007年12月12日水曜日

釜ヶ埼便り

最近釜ヶ埼に行っていない。働いていなかったときにはよく行っていたのに。何故か。まだ自分より下の人間達がいることを認識したかったからだ。残飯をあさる奴らはあまり見かけない。もしかしたら自分たちが思っている以上に豊かなのかも知れない。
缶を集めて生活する人々。そして高速道路の下で寝泊まりする人々。彼等には恥も外聞もない。捨ててきたのだ。
ただ自分の殻に閉じこもって、息を潜めて生きる。寒いときにはシェルターに潜り込み乾パンをもらう。(噂である)
腹が空いたら炊き出しを食べる。もっと空いたらもう一度並ぶのだ。それが釜ヶ埼だ。それが現実だ。

だからといって

長くいる気はない。今の会社には誇りがもてないからだ。ただ働いているからそれなりに金には困らない。
それだけしかないのだ。それがすべてじゃないかって割り切れたらいい。何も言わない。他の事はどうでも良いことだって思えたらもう
そこで働いたらいい。でも自分の仕事に疑問を感じつつ働くことに意味があるだろうか。
だからってよそに移っても疑問はなくなるはずはない。だったらどこに行っても同じのはずだという考えが成り立つ。
嫌な奴はどこにでもいる。いないことはあり得ない。だったら今まで我慢してきたんだから今のところでもう少し頑張ってみると言う気はある。投げやりになれば全てがそう思えてくる。何とか自分をセーブして今までやってきたのだからそれをもう少し続けてみたらどうだろうか。何かあったらその時には思い切って切り捨てたらいい。有給休暇が残っているがそんなことは長い目で見たら微々たることだ。
でも喧嘩して辞めるのは大人げない。それはやめた方がいい。人生とは所詮不条理なものなのだ。
そう思えばどうってことはない。自分の思う通りにならないから人生なのだ。そんな見方でいたら風のように生きられるはずだ。
違うだろうか。

かわすという考え方

馬鹿な奴ほど偉そうにしたがる。だから偉そうにする上司に腹をたてるのはそれ以上に馬鹿である。
自分がたいしたことないから誇示しようとしている。もし自信があれば誇示する必要はない。
俺は偉いんだぞ。あっそう。それでいいのである。何でも流して生きる。
真面目にとらえるから腹も立つ。すんなり流す。それでいい。ここまで今の仕事が嫌だって書いてきた。
実際嫌いだ。いや仕事が嫌いではなくまわりの人間が嫌いなのだ。自分が嫌いだから当然向こうも嫌っている。
それでいいのだ。好かれようとか考えないことだ。好かれようと考えるから戸惑い悩む。一生懸命仕事をするから行き詰まる。
もっと余裕を持って軽やかに生きたらいい。一生懸命するふりをしつつ適当にすればいい。そうしないと息切れしてしまう。
丁寧語を使えば相手は悪い気はしない。そうやってスタンスを取っていればどうってことはない。
ただ風のように生きる。そして一生懸命を見せることは結局ださいのだ。

校正の仕事

校正って特殊な仕事みたいに思われるかも知れないけど校正がないと出版物は出せないんだよね。
でも世の中にどれだけ校正の経験者がいるかと言われたらそんなにはいてないんじゃないですかってしか応えられません。
だってあれってすごく地味な仕事だし残業も多いからねぇ。でもこつこつした仕事が好きな人なら転職になると思う。
私は現に今校正の仕事をしているけど、そこは若い子達が多いから何か仕事がやりにくいんだよね。
だから絶対来年は今の仕事辞めてもっとのびのび仕事がしたいんだ。でも今の会社だって今まで我慢していろんな事を覚えてきたわけだけどそれは実っているのかも知れない。我慢することは大切だけど毎月の給料が120000円じゃあやっぱりつらい。
それに校正が一人だって言うのも考えられないよね。うちは私が見た後営業が見るんだけどそれでも間違っていたら責任問われてしまう。
何回かぼかしたことはあるけどその時も上司に別の部屋に呼ばれてむっちゃ言われたからね。
まぁどうかは分からないけど、有給4日くらい残っているけどもう来年は辞めると思う。一生懸命やっても仕方ないところだし校正の仲間がいないから全然楽しくないからね。分からないところを教えてくれる人がいないと駄目だと思う。今のところはオペレーターと画像しか周りにはいないし孤立しているからねぇ。根性ないと言われるかもしれないけど、もう言いやって気持ちだね。

嫌な会社

パートを毎日じゃないにしても12時まで仕事をやらせるってこと自体がおかしいと思う。
それなら正社員が残ってやればいいじゃないかなぁ。そんなところが納得いかない。人のことだけど僕は嫌いだ。
まぁそこは割り切ってやるしかないんだろうけどね。でもうちの会社も将来は見えていると思う。
とにかくうちでは何か考えてやるって言うのは駄目。無心になってやることが大切だと思う。

2007年12月11日火曜日

今日は更新

今日いきなり上司から呼ばれて更新をした。一応判子は押したがあまり長く続ける気はない。
しかし辞めて派遣からの電話を待っていてもそれは言い選択だとは言えないと思う。まぁ適当にやって適当に過ごしていれば
何かいいこともあると思う。

2007年12月10日月曜日

辞めてもまた仕事を見つける労力を考えると

12月で今の会社を辞めるはずだった。だって以前やったテストを性懲りもなくやるんだから。人を試すのもいい加減にしろって思ったけど辞めちゃったらまた一から捜さなきゃいけないし。その労力を考えるとねぁぇ。
それにしても今日馬鹿上司が人が26日に帰るって言ってるのに駄目だって言いやがるの。むかつくぅ。病気の母が田舎にいるって言うのに。もうあいつ信じられないよ。とかなんとかいろいろ不満はあるけどそれが職場だし、人間関係だし。つまらない上司にあたっちまったぜと諦めるしかないよな。あと10年いたら60だし。そんなまでいていいものかどうか分からないけどいなきゃまともに年金なんて貰えないし困ったものだなぁ。だいたい60なんて爺なんだし。そこまで生きている自分を想像するのって身の毛がよだつ。
それが人間のいきざまなのかって。知るか。よぼよぼになっても人は生きることに執着しているけど僕はしたくない。
そんなになって人から迷惑がられてまで生きている意味がない。だからぶっちゃけ年金なんてどうでもいいんだけど。
生きていて何が面白いんだ。映画くらいしかないじゃん。他に何もないよ。毎日仕事に行ってさ、仕事をちまちまやってそして時間が来たら帰る。その毎日に何の意味があるというのだろう。僕は金に執着していないけど周りの奴らは所詮金だもんね。
まぁあるにこしたことはないんだけど。後10年自分はどうやって生きていくのか分からないけど我慢するって事も知った方がいい気はする。来年はどんな年になるんだろう。このブログもよく続いているものだと思う。

2007年12月8日土曜日

結局イメージ

実は言葉はたいして意味がないんですよ。その裏にあるものを人間は敏感に感じ取るんです。
そしてイメージがその人の人生となります。だからいいイメージを持って下さい。そうしないと堕落したいつも悩んでいる人生を送るはめになります。たいしたことないんだからと言う気持ちでいたら本当にどうってことないんです。

自分の仕事に疑問を感じてもこれは自分に与えられたものだからと言う気持ちでいたらいいんです。
周りが自分を試そうと思ったらその上をいったらいいだけのことです。底辺でもぞもぞしているから駄目なんです。
あっこいつ出来るジャンって思わせたいいんです。まぁそのためには努力は必要なんですが。

しかしどうしようもない会社ってある。そう言う会社は自分から切った方がいいでしょうね。
年齢的に無理かもって思ったら我慢してみて、我慢が嫌なら辞めるしかないでしょう。

2007年12月7日金曜日

美しすぎてと言う映画の途中

これは以前ヴェリテと言う映画館で見たと思う。で今回中古ビデオ屋でゲットして見ている。どんなんだったっけ。
まだ途中なんだけど女の開き直りが凄い。女は開き直るとここまでなるのかと思う。でもその女性が可愛いのだ。
主演はキャロル・ブーケである。彼女の美しさとの対局を描いたのかも知れないが私にはもうひとりの女の方が綺麗に見える。
それも監督の策略なのか。ジョジアーヌ・パラスコと言う女性は本当に可愛い。好きになったら一途なのだ。それだけなのだ。
今監督を見たらベルトラン・ブリエでなるほどとなぁと思った。私は別に彼と親しいわけではないが彼ならではの気品がある。
フランス映画はこれだから好きなんだよな。キャロル・ブーケは自分か綺麗なことを知っている。そして男たちがひざまづく事も知っている。それが逆に彼女のイメージを悪くしているのだ。これは彼女の映画と思わせておいて実はジョジアーヌの映画なのだ。

彼女のきらめく気品とあの笑顔を監督は撮りたかったのだ。ジェラールド・パルデューなんてこの作品ではただの男でしかない。
私もキャロル・ブーケを007で見て綺麗だなぁと思ったしこの映画を見た動機もそうだった。その時は確かにキャロル・ブーケにしか目がいってなかった。しかし年を取って見ると味方が変わってきた。キャロル・ブーケが嫌なぶすな女に見えてくるのだからマジックだ。
そう言う一面が私を映画を見たい気持ちにさせていると思う。

若い子たちの気持ち

ぶっちゃけ分からないし分かろうとも思わない。突っかかってくるタイプと距離を置くタイプがいるのは事実だ。
距離をおくのは分かる。自分もそうだったから。でも20とか30のギャップは辛い。本当に辛い。
自分がどうしたらいいか分からないのだ。でも若い子もそうである。どう対応して良いのか。出来たら避けたいしと言う気持ちはあると思う。でも何故か完全に無視はしてくれない。何故か遠巻きに見ている気がする。気がするだけなのだから本当のところは分からない。

僕はどちらかというと波風が立つのは嫌いだった。それがいいと思っていた。人間保守的になると思っていた。でも良く考えてみたら気にするって事はその人のことが気になるからなのだ。当たり前だと言ってしまえばそれまでだがそこに何か隠されている気がする。
何故気にするのか。その人の事を思っているからなのか。違う。怖いのだ。ただそれだけなのだ。存在自体が怖いのだ。
でもそれを表に出すとやばいので必死で我慢している。そう思う。真相は分からないけどそう思うことにした。

でも自分は若い子たちを見たいかというとそう言う気はさらさらない。適当に距離をおいて適当に話すって言うかそれでいいと思う。
でも今のところは若い子たちと会話はない。そして日々は過ぎていく。でも何かもったいない。何か考えなきゃいけない。
せっかく神様がそう言うチャンスをくださったのだとしたら。

コーヒー

私はこの世からコーヒーが亡くなったら気が狂うか死んでしまうかもしれない。それくらい必需品である。
朝はないと絶対駄目で、仕事中は飲まないけど暇があっては飲んでいる。だからかどうかは分からないか胃があまり丈夫ではない。
でもブラックは苦手だ。ブラックは不味い。まぁ飲み慣れたらいいんだろうけど。
コーヒーとは違うが学生時代コーラを飲み過ぎて中毒にもなった。あれって疑っていたけど本当に中毒になるんですね。
飲まないといられないなんてほとんど麻薬の世界である。煙草もしかり。でも両方ともあっさりやめれた。
要は意志の力である。意志が弱かったらどうしようもない。意志、石、意思まぁそんなことはどうでもいいわけで。

コーヒーを飲むことで活力がアップするのだろうか。答えはしない。ただちょっと目が覚める程度というか錯覚なのかよく分からないかそんなものである。なんだ、かんだ言ってもコーヒーは必需品だ。なくては困る。ただあまり飲み過ぎると糖尿病が気になるのでほどほどにしなきゃ。

2007年12月5日水曜日

晩ご飯の話

僕は晩ご飯を自分で作って食べている。男の癖にってほっといて欲しい。僕は基本的に料理を作るのが好きだ。ただし包丁の使い方はまるでなっていない。だってジャガイモの皮すらピーラーまかせなのだから。でも私は料理が好きだ。
そんな包丁も満足に使えなくてって思うかも知れないが本当に好きなのだ。誰も上手だとは言っていない。
僕はとにかく料理を作っているだけで幸せなのだ。他にも映画を見るって事もあるんだけど。映画は別格でして。
今はおでんにこっている。えーと昆布を入れて、出汁を入れて濃い口醤油を入れて酒も入れて等々。後すじ肉は絶対に外せない。
これは味に濃が出るのだ。これがあるのとないのでは天と地ほど違う。

今の駄菓子屋

今の駄菓子屋はコンビニだろうか。時々お金を握りしめているような子供が入ってくるときがある。
しかしコンビニは便利だか高い。子供の小遣いで何か買えるのだろうか。私なら99円ショップに行かせる。
しかしあれはあまり町中にないのが難点だ。どっちにしても104円として毎日208円かかる。一ヶ月で6240円である。
まぁそれくらいの金額なら今の子供は平気で使うのだと思う。そうしないと子供は親について何かねだるしかないのだ。

お母さんは一ヶ月に数回だけ子供をコンビニに連れて行って好きな物を一個だけ買わせるのだろうか。
自分が親ならどうするか皆目分からない。みんなどんなにしているのだろうか。

梅酒

私は酒はまるで駄目である。でも昔母が作ってくれた梅酒は何故か子供の頃から飲んでいた。
味は決して子供心にも美味しいとは思えなかったがちょっと大人の気分が味わえたものだ。他の兄弟は平気で飲んでいた。
で養命酒と言う物を以前買って飲んでみたら不味い不味い。飲めた代物ではなかった。
梅酒も最近はもう何十年も飲んでいない。飲んだら飲めると思うがどうだろうか。最近ぐっすり眠れないので買ってみようかなと考えている。

睡眠不足

昨日は睡眠不足だった。特に午前中は最悪だった。弁当を食べる云々の前に眠たさがどどっときたが一応弁当は食べた。
そして机にうつぶしての睡眠である。人間睡眠をとらないとどうしようもない。

2007年12月4日火曜日

エゴ2

彼にどんなに柔らかい口調で近づいていってもそれは無駄という物だ。ただし感情的になってはいけないな。
彼はそうなることを望んでいるんだから。それは相手の思うつぼってものさ。ただ淡々とした話し方で相手に探りを入れるしかないの。
いや、極力彼には近づかない方が良い。そしたら相手が動き出すはずなんだ。それを見据えていればいい。すると彼の行動範囲も読めるはずだよ。いいかい、どこに誰が聞き耳を立てているか分からない。誰が味方で誰が敵かも分からない。それが職場って物さ。
だから気心を知らせてしまっては駄目だ。誰の耳にどう入っているかわかったものじゃないからね。
それじゃ人間不信になってしまう。それでいい。ただ自分の身を守ればそれでいいんだ。相手の出方を待つことが何においても大切なんだ。ただし相手の背後に忍び寄るような卑怯なまねはやめた方が良い。それは人間性が疑われるだけだからね。

ただ適当にスタンスを取って適当にやっていれば人間はいくらでもごまかせるものなんだ。
いいかい、相手の行動パターンを掴むんだ。すると相手が逆にビビリ出すはずだから。そして相手に変に卑屈にならないことだね。
そして自分に自信を持つんだ。それを守ってごらん。必ず道は開けるから。

エゴ

人間は所詮エゴの固まりなんだよ。それは分かっているさ。だから人は自分の都合の良いようにしか物事を考えないのさ。
それは知ってるよ。だから君がどうあがいても経験している物には勝つことは出来ないんだ。
そうかな。そうさ。だって彼は隅から隅まで知っているわけだし君はまだあまり知らないんだからね。
彼は僕をどうしようと思っているんだろう。少なくとも味方になろうとは思っちゃいないよ。敵に回ることはあってもね。
一応、彼は上司の言うことを聞いているだけなんだ。本当の気持ちは一緒に仕事なんかしたくないに決まっている。

それはすごく感じるよ。でも僕にはどうすることも出来ない。そうさ君にはどうすることも出来ない。
えーいっと思い切って仕事を辞めてまた一から捜すか、今の場所に我慢して居続けるかしか選択はないんだ。
もう逃げられないんだからね。若いときは逃げ場かあったんだ。でも年を取ると逃げ場がなくなる。それを踏まえた上で相手と戦う必要があるね。戦うのは嫌いじゃないよ。そう、だからってむやみやたらにかみついたって何の意味もないさ。

じゃうどうしたらいいの。まだ分からないのかい。君のいる場所はそこしかないんだからいらないって言われたら仕方ないけどそうじゃない限りはそこに居続けるしかないんだ。聞こえてすごく嫌な気持ちになっても相手が何かを仕掛けてきてもそれは無視して何でもない振りをして居続けるしかないんだよ。分かった。やってみるよ。ああそれが良い。

2007年12月3日月曜日

今日は楽勝

今日は年末調整をもらった。一応書いて印鑑を押すだけの状態で帰った。
今日は月曜日なので楽勝の日である。仕事がほとんどないので一日中プレゼンを作っていたというか密かに遊んでいた。
でも、一人見回り星人がいるのでそいつには気を付けないといけなかった。まぁ見つかっても別にどうってことないんだけど。

辞めさせられたらどうしようと考えるから人間は躊躇する。別に辞めさせられてもどうってことないと思えばどうってことないのだ。
でもまた職を見つけるのはものすごい労力がいる。だからただ仕方なく仕事に行っているのかもしれない 。

2007年12月2日日曜日

人間なんて

どんなに偉そうにしていてもたいした事はない。偉そうにしたい人がいたらそうさせておけばいい。
彼はそれでしか満足できない気持ちの小さな人なんだから。人を立てて自分らしく生きる。それが僕はいいと思っている。
別に必要以上に相手を立てる必要はないけど、適当に距離を置いて立てていれば相手も悪い気がしないのならそれでいいと思う。

つまり気持ちの中に常に自分らしさを持つと言うことなんだ。相手がどう思おうとそれは関係ない。
人は弱さを隠しながら生きているんだし結局は弱い生き物なんだから。それを知った上で相手を見ると気持ちに余裕が産まれるんじゃないかなぁ。人が何か言ったら自分はどうしようとか考える必要はない。自分の時間の中で仕事を淡々とこなしていけばそれで自分の役割は終わるんだから。どうしよう、どうしようって考える前に何も考えずに前にある仕事を片付けていく。それで人生はなんてことなく過ぎていくんだ。人間なんて所詮ちっぽけなものなんだ 。だからそんなに深く考える必要はない。

そして分からないところは人を利用すればいい。教えるのが好きって人は職場には必ず一人はいるはずだしその人を利用すれば良いんだ。
今がとっても嫌でも時間が解決してくれる。それが積み重なって自信につながっていく。辞めたいと思うのならまずそこでどれだけ自分を試せるか考えた方が良い。職場は自分を大きくしてくれてお金をくれるとってもいい場所なんだ。発想の転換。

真剣に考える

考えるから人は不幸になっていくんだよね。考えなかったら毎日がどうってことなく過ぎていくと思う。
つまらないことを考えて苦しむのなら何も考えずに無我の境地でいたほうが楽である。
それと欲。これは人を堕落させるものですね。欲があるからがんばれると思う人もいますが欲があれば人生を欲張って考えてしまうから結局どんどん墜ちていく。ストイックに生きられたらいい。どんなに忙しい仕事でもスマートにこなす。たいしたことないよって顔でいたら
それでいいと思う。追い詰められればられるほど楽しいって思ってしまうくらいの方がつらさも半減する。

来た仕事をやるんじゃなくてきちんと先を読んで仕事をする気持ちを持つ。そうすれば心に余裕がうまれてくるはずなんだ。
世の中は自分の思ったようには回らない。それが人生って物だ。だからって決して落胆するんじゃなくそれを受け入れて楽しむ気持ちがあれば辛いことも乗り越えていける。つらい、つらくないって言う感情さえ個人差があるんだよね。

つまり物事の先を読んであまり深く考えないことが人生をうまく生きるコツだと思う。
人生から逃げたまま平和は得られないのだから。

2007年12月1日土曜日

自己中

チャリンコで走っている若いとのすれ違って向こうが舌打ちしたがおいおいお前らが二人乗りしているのはどうなんだって思った。
大阪はマナーの悪さ日本一である。でも自己中である彼等は決して幸せな道は歩けないのだ。それを知らないでそう言う態度をとっていると自分に降りかかり結局悲惨な人生を送る羽目になることも知らない。それは若いのだけでなくいいおっさんもそうである。
意識レベルの低さに呆れてしまう。世の中自分一人で渡ってきているような顔をしているがみんな誰かの世話になって生きているのだ。

まぁ自己中な奴らはどうぞ不幸な人生を歩いて欲しい。

iPodnanoを買いたいんだけど

どうやって使って良いのかまるで分からないんです。

僕の週末

僕は週末の過ごし方がムッチャ下手なんです。だって何して良いか分からないんだから。
映画か本くらいしか考えられないんです。それか家でネットしてるかなぁ。最近は絵もまるで描いていません。

困ったものです。まぁ週末の過ごし方なんて家でごろごろっていうのもいいんだけどね。
昨日は深夜にシャロー・グレイプをやっていたので録画しました。

腐れた街

ジョブプラザという仕事を探す場所があってでもそこには人が集まるけど中のカウンセラー自体がただ人の話を聞くだけで何の役にも立っていないのが丸見えである。一緒に捜してやる気がないのならいたって仕方ないだろうと思うがそこはある派遣会社がバックにいてやっているところで何というか派遣会社の延長みたいなところである。でも私の勘だが職は紹介してくれないと思う。
そこに人が集まり結局はパソコンで職探しをしている。そこで毎週土曜日にある集会がおかしい。

あんたが主催者かと思うような男二人が偉そうに話をしているがその話が何の役にも立っていない。
ここが大阪らしいっちゃらしいんだけど。大阪はだいたい胡散臭い街である。真剣じゃない。どこかおちゃらけているのだ。
だから真剣に探している人は嫌な思いをする。中にはただだからと言う理由でコーヒーを飲んだりお菓子を食べたりしにくる輩までいる始末である。いっつも菓子を食っている奴は絶対それが目的なのだ。貧乏人だなぁっと思う。気持ちまで腐れている。

僕はとにかくこの街から脱出したい。田舎に住みたい。でも年を取っているのでその勇気がないのだ。

毎日電車に揺られて会社に通っている人々を見るけどネクタイ締めて何考えているのだろうかと思う。
上司と部下の板挟みになって苦しんでそれでもすました顔でまた翌日仕事に行くのだ。人間っていったいなんなのだろうか。
実際自分は生きていて良いことがあったかというとあまり思い出さない。小さい頃はよかったけど、働き始めて何もいいことがなかったような錯覚にまで陥っている。

今の仕事だってつまらないけど、でもなければ困るわけだし僕も仕方なく行っているだけだけど、出来ることなら行きたくはない。
普通は結婚して家族の為に働いたりするんだろうけどそれってある意味とっても悲しい行為の様に思えてならない。

映画、試写、DVD、ビデオで映画の感想

しばらく空いていましたが映画の感想をアップしています
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