2007年11月26日月曜日

ハリーとトントを見終わって

最初見たときのインパクトはなかったけど、やっぱり心にじわっと来る映画だった。
ハリーは良い紳士なんだけど年を取っているばかりに時代についていけずにそれでも我を通すところが年を取るってこんなことなんだと思わせてくれて逆に嬉しくなってしまう。年を取って無理して周りに合わせなくても自分らしさを忘れないで生きていけばいいのだ。

肩の力を抜いて生きていけばいいのだ。頭の中で色々妄想するから人生はつまらなく見える。
ただ自分らしくいればそれでいいのだと言うことをこの映画は教えてくれた。私は今まで身構えて生きていたから仕事もつまらなかったと思う。でもすべてを受け入れて生きていけば何も嫌なことはないはずなのだ。

自然の流れに逆らわずに自分らしく生きるこれが人生の極意なのかも知れない。
ハリーとトント。この作品はやっぱり名作である。トントにあれほど執着していたように見えたハリーがトントの死をすんなり受け入れる所とトントに似た猫を追いかける砂浜のシーンそして昔の彼女を老人ホームに訪ねていって二人で踊るシーンなど人生の断片をかいま見せてくれた話である。良い映画だなぁ。

なんだかんだと書いてきたが

反響は0に等しかった。ブログにコメントを載せて義理で帰ってきた程度。それでも続けることに意味がある。
僕は母から硝子の心を持っていると言われたことが昔ある。壊れやすい子供だったのだ。
感受性が豊かと言っても良いのかも知れない。僕は仕事に就いては面白くないと言っては辞める人生を送ってきた。
だから5年間でまともに働いたのは13年しかない。そして国民年金も免除してもらっていたので年を取ったらほとんど国から援助してもらえない身だと思う。まぁ月30000くらいあったら1日千円としてそこいらの浮浪者よりはましな生活が出来るかも知れない。

後九年で還暦である。もう爺である。だからあまり生きていたくはない。人はどうしてこうも生きることに執着するのだろうか。
僕には分からない。これからぼちぼち架空の未来の自分のことを書いていこうとも思っている。

人生に光はあるか

教育テレビでやっていたので見ていた。以前は働き者だった妻がアルツハイマーになりそして旦那介護の日々を送る。
一瞬ではあるが昔の妻に戻る瞬間がある。その時の表情が本当に痛々しくてまたあのつらい現実に戻る前の一瞬の輝きだと思うと見ている方も本当につらくなった。その夫婦には子供はいないがもし子供がいたらどうお母さんの事をとらえるのだろうか。
現実としてそれを受け入れることって・・・。

自分の年取った母も5年前に脳梗塞にかかった。そして昔の母の面影は消えた。でも母は母として息子の娘の心の中には存在するのだからいつまでも長生きして欲しい気持ちは変わらない。でもそれはまだ母が私の事を覚えてくれているからだ。
その記憶がなくなったとき自分は耐えきれるか自信がない。でも人生とは奈落の果てに突き落とされても生きていかなければならないのだ。それが現実なのだ。それを放棄したとき人は死にとりつかれるのかも知れない。気持ちの弱いまじめな人の自殺を聞くといつもそう思う。

風邪とインフルエンザ

今日は会社から出してもらうと言うことでインフルエンザと風邪気味で休んだので病院に行った。
病院の医者は問診でヤブかどうか判断できる。そこの医者はヤブだった。
偉そうに理屈ばかりこねるところはろくな所はない。看護師の態度も影響している。
この医者の処方で風邪が治るとは思えないが一応薬は飲むしかない。それにしてもインフルエンザか3500円以上するなんて思わなかった。でも予防するにこしたことはない。最近ブログの方向性が少しずつ変わってきている。まぁ日記みたいなものだからいいけど。

ハリーとトント

ポール・マザースキー監督の作品である。主演はアート・カーニーでなかなか良い味を出している好きな映画だ。
それを中央図書館から借りて見ている。でも猫のトントの為に空港でトラぶったりバスを止めたりする人騒がせな人でもある。
日本人なら考えられないような描き方だがそれでもどこか微笑ましい。

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