私がぷー太郎を長いことやっていたときどこかに救いを求めてホームレスのいる場所に行った。
何が救いなんだって思うかもしれないけど、自分より底辺にいる人を見てあーまだ自分はましだと思いたかったのかも知れない。
だから自分が救われる訳でもないのに私は暇なときにはいつも5時過ぎになると動物園前ゲートに足を運んだ。
夏場は大勢いる彼等の姿も冬になるとめっきり減って中にはテント持参なんて人もいる。寝袋は冬場は絶対いると思う。
しかしテントも寝袋も買えない人々はどうすればいいのか。ある日その近くの職を紹介していない安定所に行った。
そこも実はホームレスの集まりで昔景気が良かった頃は日雇いが集まっていただろう場所だが今では職にあぶれた人々が集まる場所で
そこの人々は夜の6時になるとシェルターと言う場所に入るために並んでいる。そうやって過ごさないと死んじゃうかも知れないからだ。
でも昔はシェルターなんてなかったと思う。僕は一端のホームレスを気取って300円の弁当を食べたり、炊き出しに参加したりしたこともある。でも炊き出しは彼等の食いぶちを減らすことになるので今思えばいけないことをしたと反省している。
私は今ある大きな職場で働いている。でもパートである。しかし仕事があるだけでもまだましだと思っている。
そこの職場にいる限りは何とか食べていけるし社会保険だってあるわけだし。でもだからって将来が約束されたというわけではないのかもしれないけど。50だから嫌な目で見られつつもやっぱりしがみついている。そうしなければ生きていけないからだ。
人生っていったい何だろうか。何で若い奴らは人のことを汚物でも見るような目でみるんだろうか。
俺だって好きでここにいる訳じゃない。
生きるって泥沼だ。産まれてきたことを呪ったことも何度もある。良いこともあるさって言うのは単なる気休めでしかない。
若い人たちは体力も気力もやる気もある。でも我々中年に何が残されているのだろうか。
ただ毎日仕事に行って日々を何とか送る事しかないのだ。別に若い奴らを羨ましがっているわけではない。
淡々と生きていきたいだけなのに周りがそうはさせるかと身構えている。
私はただ毎日息を殺しながら生きている。
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- 浜ちゃん
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